2010年10月31日
テニス復活への序章3
コンドロイチン、グロクサミンを飲みながら、テニス復活への淡い期待を抱きながらも、急には膝の故障は回復しないので、悶々とした日々を過ごしていました。
そうした頃、日本テニス界に大きなニュースがありました。
1つは、錦織というニューヒーロ。久々に世界で活躍でき、マスコミにも取り上げられる選手の登場に、1テニスファンとして、うれしい思いでした。
もう1つは、伊達選手の13年ぶりの現役復活。私がテニスをできなくなり12年目だったので、このニュースには、非常に元気づけられました。
この2つのニュースで、俺も必ずテニスに復活するぞという思いを強くしました。
愛犬の散歩のペースも、散歩→軽いジョギング→ジョギング→ランニングと、ペースが上がっていきました。
テニス復活の日まで、1年を切った頃でした。
そうした頃、日本テニス界に大きなニュースがありました。
1つは、錦織というニューヒーロ。久々に世界で活躍でき、マスコミにも取り上げられる選手の登場に、1テニスファンとして、うれしい思いでした。
もう1つは、伊達選手の13年ぶりの現役復活。私がテニスをできなくなり12年目だったので、このニュースには、非常に元気づけられました。
この2つのニュースで、俺も必ずテニスに復活するぞという思いを強くしました。
愛犬の散歩のペースも、散歩→軽いジョギング→ジョギング→ランニングと、ペースが上がっていきました。
テニス復活の日まで、1年を切った頃でした。
2010年10月30日
テニス復活への序章(コンドロイチン、グルコサミン)
約30年ぶりのGSSパンサーOB会でテニスへの強い復活の願いを持ちましたが、現実には、膝の軟骨減少による痛みは変わりませんでした。
ちょうどその頃、軟骨減少に効果があるという薬品、健康食品が出はじめました。それが、コンドロイチンとグルコサミンです。どちらも即効性があるものではないとのことでしたが、テニス復活の夢がかなうかもとの期待のもと、毎日飲み続けました。
この2つの医薬品、健康食品を飲み、運動は愛犬のゴールデンレッドリバーの散歩でしたが、半年過ぎくらいから、散歩が軽いジョギングレベルへと向上してきました。
飲み始めてから、現在(2010年)では、5年も経ちますが、この2つがなければ、現在のテニスもないわけで、感謝、感謝です。
ちょうどその頃、軟骨減少に効果があるという薬品、健康食品が出はじめました。それが、コンドロイチンとグルコサミンです。どちらも即効性があるものではないとのことでしたが、テニス復活の夢がかなうかもとの期待のもと、毎日飲み続けました。
この2つの医薬品、健康食品を飲み、運動は愛犬のゴールデンレッドリバーの散歩でしたが、半年過ぎくらいから、散歩が軽いジョギングレベルへと向上してきました。

飲み始めてから、現在(2010年)では、5年も経ちますが、この2つがなければ、現在のテニスもないわけで、感謝、感謝です。

2010年10月24日
テニス復活への序章(GSSパンサーOB会)
膝の軟骨がすり減り、テニスを断念して10年がたった頃、今から3年位前ですが、何十年ぶり(もっともGSSパンサーが出来てから30数年ですが)かのGSSパンサーOB会が開かれました。
30数期全員はもちろん無理で、私たち1期から5期までで、一緒にGSSパンサーがなんとかテニス同好会として、よちよち歩きをした頃のメンバーです。
1部と2部があり、1部は昼間にテニスをしたのですが、もちろん残念ながら、テニスができる体でなかったため、不参加。2部の夜の懇親会から参加しました。
場所は新宿でしたが、集合場所で、おぼろげながら見たような顔が次第に集まってきました。なにしろ、半分以上は、GSSパンサー卒業後会っていませんから、約30年ぶりです。
私は、少々老けたなと言われましたが、まあ皆、同じようなもので、30歳以上年をとったわけですから。
自己紹介を聞いていると、皆、公私にわたりいろんな経験をしてきており、山あり谷ありの人生を歩んでいるんだな(自分も)と実感しました。
2部の一次会が終わるも、話は尽きず、2次会へ。女性陣もほとんど参加し、かなりは主婦なのに大丈夫かなといらぬ心配をしましたが、全くそんな気配はなし。席を変わりながら、全員(30名位いましたので)とまではいきませんでしたが、GSSパンサー時代のこと、今のことと話が咲きました。
人の心配をしていた私が、先に、新宿から千葉の自宅までの終電の時間がきてしまい、残っている女性陣をあとに、帰宅の途へ。(徹夜でもしようかとも思いましたが)
酔っ払いながらの帰りの終電のなか、GSSパンサー時代の思い出、今日再会したOB仲間のこと、そしてテニスへの思いが、強くつのってきました。また、テニスをしたい、テニスをさせてくれと、心のなかで叫びました。
この日から、テニス復活まで2年間かかりましたが、このGSSパンサーOB会がなければ、おそらく復活はなかったと思います。
やはり私のとってのGSSパンサーは、かけがえのないものです。
30数期全員はもちろん無理で、私たち1期から5期までで、一緒にGSSパンサーがなんとかテニス同好会として、よちよち歩きをした頃のメンバーです。
1部と2部があり、1部は昼間にテニスをしたのですが、もちろん残念ながら、テニスができる体でなかったため、不参加。2部の夜の懇親会から参加しました。
場所は新宿でしたが、集合場所で、おぼろげながら見たような顔が次第に集まってきました。なにしろ、半分以上は、GSSパンサー卒業後会っていませんから、約30年ぶりです。
私は、少々老けたなと言われましたが、まあ皆、同じようなもので、30歳以上年をとったわけですから。
自己紹介を聞いていると、皆、公私にわたりいろんな経験をしてきており、山あり谷ありの人生を歩んでいるんだな(自分も)と実感しました。
2部の一次会が終わるも、話は尽きず、2次会へ。女性陣もほとんど参加し、かなりは主婦なのに大丈夫かなといらぬ心配をしましたが、全くそんな気配はなし。席を変わりながら、全員(30名位いましたので)とまではいきませんでしたが、GSSパンサー時代のこと、今のことと話が咲きました。
人の心配をしていた私が、先に、新宿から千葉の自宅までの終電の時間がきてしまい、残っている女性陣をあとに、帰宅の途へ。(徹夜でもしようかとも思いましたが)
酔っ払いながらの帰りの終電のなか、GSSパンサー時代の思い出、今日再会したOB仲間のこと、そしてテニスへの思いが、強くつのってきました。また、テニスをしたい、テニスをさせてくれと、心のなかで叫びました。
この日から、テニス復活まで2年間かかりましたが、このGSSパンサーOB会がなければ、おそらく復活はなかったと思います。
やはり私のとってのGSSパンサーは、かけがえのないものです。
2010年10月23日
足底筋膜炎、鍼治療
半月前に、整形外科を受診、湿布をはり、ストレッチをするも、カカトの痛みは、なかなかとれません。
明日(2010年10月24日)のテニスをひかえ、なんとかしたいと思い、鍼治療に行ってきました。
鍼は、数年ぶりですが、カカトに打つのは初めて。鍼自体は痛みはほとんどありませんでしたが、鍼に電気が流れたときは、冷や汗ものの痛さで、なんとか我慢しました。
すべての治療が終わるのに1時間半かかりましたが、終わってみると痛みは、どこへやら。足に熱感があるも、痛みはなくなり、感激。
ただ、一時的なものか、明日のテニスで、どうなるか、期待と不安です。
明日(2010年10月24日)のテニスをひかえ、なんとかしたいと思い、鍼治療に行ってきました。
鍼は、数年ぶりですが、カカトに打つのは初めて。鍼自体は痛みはほとんどありませんでしたが、鍼に電気が流れたときは、冷や汗ものの痛さで、なんとか我慢しました。
すべての治療が終わるのに1時間半かかりましたが、終わってみると痛みは、どこへやら。足に熱感があるも、痛みはなくなり、感激。
ただ、一時的なものか、明日のテニスで、どうなるか、期待と不安です。
2010年10月17日
パワーテニス対策
昨日(2010年10月16日)は、ダブルスを7ゲームやりました。
その相手の1人が、いわゆるパワーテニスで、全てのショットをものすごい勢いでハードヒットしてきます。
故障前の私はシンブルス中心で、パワーテニス相手には、とにかく中ロブでも4~5回は返球していると、相手が自滅するというパターンで勝ってきました。
13年のブランク後は、シングルスは無理でダブルス一辺倒。しかしシングルスで通じたパワーテニス対策が、ダブルスだと通じない。中ロブで返していると、相手前衛のポーチに合ってしまう。いきおい、こちらもパワーヒットで対抗するも、もともとそういうテニスでないので、先にこちらがミスをしてしまう始末。
とりあえず、ゲーム中は、相手に先手をとらせないように、イージーボールをハードヒットされないようにしていましたが。
単なる強打は、切り返しができるも、そのレベルを超える強打がくる。課題がまた増えました。
その相手の1人が、いわゆるパワーテニスで、全てのショットをものすごい勢いでハードヒットしてきます。
故障前の私はシンブルス中心で、パワーテニス相手には、とにかく中ロブでも4~5回は返球していると、相手が自滅するというパターンで勝ってきました。
13年のブランク後は、シングルスは無理でダブルス一辺倒。しかしシングルスで通じたパワーテニス対策が、ダブルスだと通じない。中ロブで返していると、相手前衛のポーチに合ってしまう。いきおい、こちらもパワーヒットで対抗するも、もともとそういうテニスでないので、先にこちらがミスをしてしまう始末。
とりあえず、ゲーム中は、相手に先手をとらせないように、イージーボールをハードヒットされないようにしていましたが。
単なる強打は、切り返しができるも、そのレベルを超える強打がくる。課題がまた増えました。
2010年10月16日
司法試験顛末
2年間の受験勉強を経て、平成17年度司法試験第二次試験短答式を受験しました。
5月第2日曜日だったため、もちろん直前のゴールデンウィークは、憲法、民法、刑法の3科目の択一式に集中して臨みました。
会場は、慶応大学三田校舎。会場に着くと、日本で一番難しい試験を受けるのだということ、この2年間の受験勉強の思い等から、なんともいえない感慨がありました。
会場に入ると、若い人ばかりかなと思ったら、予想外に年配の人が多く、40代(当時)の私も特に違和感ない感じ。
試験は、3時間30分。当初の予定は、憲法1時間、民法45分、残りは一番時間のかかる刑法と見直し。
しかし、まず憲法に1時間20分かかり、民法は1時間、刑法は、20問中15問しか解けず、最後の5問は、全て肢4(統計上、肢4の正解率が高い)にマークという始末。もちろん、見直しの時間もなく終了しましたが、とにかく終わったという感じでした。
ほどなく、結果が到着。科目別点数と総合順位が記載されています。5万人中2万人台の順位で、もちろん、不合格。想定はしていましたが、やはり残念でした。
そして、来年度の受験は、やめました。
この試験は、フルタイムの仕事(+残業、休日出勤)をし、かつ予備校に通わないで、受かることは不可能と思い知りました。そういう環境で受かる試験は、社労士が限度でしょう。
このまま時間をかけても、知識の積み重ねで対処できる試験でもなく、さらに司法制度改革で、この試験(旧司法試験)は合格者が減少し、いずれ廃止されることもありました。
テニスを断念してからの資格試験挑戦も、これで一段落となりました。
5月第2日曜日だったため、もちろん直前のゴールデンウィークは、憲法、民法、刑法の3科目の択一式に集中して臨みました。
会場は、慶応大学三田校舎。会場に着くと、日本で一番難しい試験を受けるのだということ、この2年間の受験勉強の思い等から、なんともいえない感慨がありました。
会場に入ると、若い人ばかりかなと思ったら、予想外に年配の人が多く、40代(当時)の私も特に違和感ない感じ。
試験は、3時間30分。当初の予定は、憲法1時間、民法45分、残りは一番時間のかかる刑法と見直し。
しかし、まず憲法に1時間20分かかり、民法は1時間、刑法は、20問中15問しか解けず、最後の5問は、全て肢4(統計上、肢4の正解率が高い)にマークという始末。もちろん、見直しの時間もなく終了しましたが、とにかく終わったという感じでした。
ほどなく、結果が到着。科目別点数と総合順位が記載されています。5万人中2万人台の順位で、もちろん、不合格。想定はしていましたが、やはり残念でした。

そして、来年度の受験は、やめました。
この試験は、フルタイムの仕事(+残業、休日出勤)をし、かつ予備校に通わないで、受かることは不可能と思い知りました。そういう環境で受かる試験は、社労士が限度でしょう。
このまま時間をかけても、知識の積み重ねで対処できる試験でもなく、さらに司法制度改革で、この試験(旧司法試験)は合格者が減少し、いずれ廃止されることもありました。
テニスを断念してからの資格試験挑戦も、これで一段落となりました。
2010年10月11日
ヨネックス
昨日の続きで、現在の話です。
昨日は、テニスコートでヨネックスの展示会が行われ、ヨネックスから若手~中堅社員と見える方が2名来ていました。
私のカワサキラケット時代を思い出しましたが、こういうイベントは当然、土日が多く、少ない社員で全国のイベントをカバーしますから、かなり土日出勤が多いんですね。
まあ、制度的には、平日に代休が取れることにはなっていましたが、平日は平日でまた仕事があったりで。
でも、当時の噂では、ヨネックスはテニス業界では、労働条件が良い方だったので、そういうことはないのかもしれませんが。カワサキラケットからヨネックスへ転職した人もいましたし。
ところで、昨日は、ヨネックスの新商品、「E ZONE(だったかな?)」の展示、試打会でした。衝撃が少ないというふれこみでしたが、例の足裏筋膜炎の関係で、試打はしませんでした。
しかし、ヨネックスは20年以上も、例の四角形にフレーム形状は変わりませんね。
思わず、1984年購入の名機「R 22」を探して、写真をとってしまいました。

フレーム形状は、「E ZONE」も「R 22」も、ほぼ同様ですよね。
さて、今日は、例の足底筋膜炎をかかえながらも、何とかテニスができました。昨日からのシップでかなり痛みが引き、昨日は不調でしたが、今日はなぜか好調な部類。なにが幸いするかわからないですね。
昨日は、テニスコートでヨネックスの展示会が行われ、ヨネックスから若手~中堅社員と見える方が2名来ていました。
私のカワサキラケット時代を思い出しましたが、こういうイベントは当然、土日が多く、少ない社員で全国のイベントをカバーしますから、かなり土日出勤が多いんですね。
まあ、制度的には、平日に代休が取れることにはなっていましたが、平日は平日でまた仕事があったりで。
でも、当時の噂では、ヨネックスはテニス業界では、労働条件が良い方だったので、そういうことはないのかもしれませんが。カワサキラケットからヨネックスへ転職した人もいましたし。
ところで、昨日は、ヨネックスの新商品、「E ZONE(だったかな?)」の展示、試打会でした。衝撃が少ないというふれこみでしたが、例の足裏筋膜炎の関係で、試打はしませんでした。
しかし、ヨネックスは20年以上も、例の四角形にフレーム形状は変わりませんね。
思わず、1984年購入の名機「R 22」を探して、写真をとってしまいました。

フレーム形状は、「E ZONE」も「R 22」も、ほぼ同様ですよね。
さて、今日は、例の足底筋膜炎をかかえながらも、何とかテニスができました。昨日からのシップでかなり痛みが引き、昨日は不調でしたが、今日はなぜか好調な部類。なにが幸いするかわからないですね。
2010年10月10日
足底筋膜炎、やっかいな痛み
また現在(2010年10月10日)です。
2週間前に整形外科で、足底筋膜炎を診断され、ストレッチとシップをしてきました。通勤時は、ビジネスシューズに衝撃吸収中敷を入れ、ほとんど痛みはありません。
そして、いよいよ今日テニスで、どうなるか。テニスシューズにも、スポーツシューズ用の衝撃吸収中敷を入れ、準備体操までは、痛みはなし。大丈夫かなと思いきや、やはり左カカトに次第に痛みが。私は、効き足は右ですが、例えば、フォアハンドストロークでは、左カカトから踏み込みますので、そのときズキンときます。

痛みの仕組みはわかっていて、必ず治ると医者に言われましたが、最短3カ月、最長3年かかるということ。やはり2週間では無理か。
でも、明日もテニスの予定なんだけど、大丈夫かな。
2週間前に整形外科で、足底筋膜炎を診断され、ストレッチとシップをしてきました。通勤時は、ビジネスシューズに衝撃吸収中敷を入れ、ほとんど痛みはありません。
そして、いよいよ今日テニスで、どうなるか。テニスシューズにも、スポーツシューズ用の衝撃吸収中敷を入れ、準備体操までは、痛みはなし。大丈夫かなと思いきや、やはり左カカトに次第に痛みが。私は、効き足は右ですが、例えば、フォアハンドストロークでは、左カカトから踏み込みますので、そのときズキンときます。

痛みの仕組みはわかっていて、必ず治ると医者に言われましたが、最短3カ月、最長3年かかるということ。やはり2週間では無理か。
でも、明日もテニスの予定なんだけど、大丈夫かな。
2010年10月09日
司法試験、過去問
約1年で六法のインプットを終え、次はアウトプットとして、過去問に取り組みましたがーーー。
社労士にしろ宅建にしろ、択一は、四肢や五肢のなかから、正しいものはどれか、または間違っているものはどれかでしたので、知識さえあれば、解答でき、いわば知っているかどうかが合否を分けるものでした。その知識レベルも9割方わかれば、消去法で解答できるレベルです。
ところが。司法試験の択一過去問にチャレンジして、まずビックリ、知識だけでは解けない。
なかには、こんな問題がありました。五肢で全部で20の空欄があります、それぞれに適当な語句を入れ、五肢を論理的に正しい順番に並べ替えた上で、5番目、11番目、17番目の語句はなにかという、まるでパズルのような問題。
民法では知識問題もありましたが、いわゆる個数問題で、正しい肢の数を答えるもの、全ての肢の正誤がわからないと正解できない。
さらに、1問あたり3分30秒で回答しなくてはならないのが、平気で倍の時間がかかってました。それでも、正解にならない。
論文にいたっては、何をどう書いていいかわからない。今までの資格では、唯一、社労士に記述式がありましたが(今はなぜか選択式に変わってしまいましたが)、何について、述べよというやはり知識を書くレベル。司法試験の論文過去問は、とりあえず、模範解答を読んで、見よう見まねで取り組みましたが、いいのか悪いのか、わからないという出口のないトンネルの中でも勉強が続きました。
社労士にしろ宅建にしろ、択一は、四肢や五肢のなかから、正しいものはどれか、または間違っているものはどれかでしたので、知識さえあれば、解答でき、いわば知っているかどうかが合否を分けるものでした。その知識レベルも9割方わかれば、消去法で解答できるレベルです。
ところが。司法試験の択一過去問にチャレンジして、まずビックリ、知識だけでは解けない。
なかには、こんな問題がありました。五肢で全部で20の空欄があります、それぞれに適当な語句を入れ、五肢を論理的に正しい順番に並べ替えた上で、5番目、11番目、17番目の語句はなにかという、まるでパズルのような問題。
民法では知識問題もありましたが、いわゆる個数問題で、正しい肢の数を答えるもの、全ての肢の正誤がわからないと正解できない。
さらに、1問あたり3分30秒で回答しなくてはならないのが、平気で倍の時間がかかってました。それでも、正解にならない。
論文にいたっては、何をどう書いていいかわからない。今までの資格では、唯一、社労士に記述式がありましたが(今はなぜか選択式に変わってしまいましたが)、何について、述べよというやはり知識を書くレベル。司法試験の論文過去問は、とりあえず、模範解答を読んで、見よう見まねで取り組みましたが、いいのか悪いのか、わからないという出口のないトンネルの中でも勉強が続きました。
2010年10月03日
司法試験、その膨大さ
本格的に司法試験の学習を開始し、今までの資格試験と比較して、その分量に圧倒されました。
今までの資格で一番分量が多かったのは、社労士でしたが、主な教材は、テキストが200ページ前後で8冊、過去問は択一、記述各1冊の計2冊で済みました。司法試験は、テキストが500ページ前後で16冊、過去問は科目別で、択一3冊、論文6冊と、その量に圧倒されました。
なにしろインプットの段階でテキストを回すにも時間がかかります。一番やさしい教材を選んだのですが、それでもすんなりとは頭に入っていきません。1冊読むのに最初は半月以上かかってしまいました。各科目2回読み込んでから次の科目へ進みましたが、それでも全科目終わったときは、半年が過ぎていました。さすがに3回目に入ると少しは読み込みスピードが上がってきましたが、仕事と食事等最低限の日常生活以外の時間は、すべて学習についやしても、先が見えない状態。
とんでもない世界に足を踏み入れてしまいました。
今までの資格で一番分量が多かったのは、社労士でしたが、主な教材は、テキストが200ページ前後で8冊、過去問は択一、記述各1冊の計2冊で済みました。司法試験は、テキストが500ページ前後で16冊、過去問は科目別で、択一3冊、論文6冊と、その量に圧倒されました。
なにしろインプットの段階でテキストを回すにも時間がかかります。一番やさしい教材を選んだのですが、それでもすんなりとは頭に入っていきません。1冊読むのに最初は半月以上かかってしまいました。各科目2回読み込んでから次の科目へ進みましたが、それでも全科目終わったときは、半年が過ぎていました。さすがに3回目に入ると少しは読み込みスピードが上がってきましたが、仕事と食事等最低限の日常生活以外の時間は、すべて学習についやしても、先が見えない状態。
とんでもない世界に足を踏み入れてしまいました。
2010年10月02日
司法試験序論
学習院大学時代は、法学部でなく、経済学部だったため、いわゆる六法は勉強したことがありませんでした。もっともGSSパンサー一色の大学時代だったので、経済学部テニス学科で経済の勉強もしてませんでしたが。
サラリーマン独学2年合格の弁護士の本にしたがい、まずは入門編の本(3時間でわかるシリーズ)6冊を購入。やさしく書いてあるので、まずはクリア。
次は、いよいよ受験対策の本です。当時、司法試験用教材は大手4予備校から出版されていて、迷いましたが、試しに入門編と同じ予備校の憲法の本を購入、取り組みましたが、理解不能。
条文1条に数ページ~十数ページもあり、知識でなく、見解、解釈がかかれていて、ちんぷんかんぷん。
これは無理だと思い、違う予備校の、もっと初歩的なところから書かれている本に変更しました。
これで、まずは本格的受験対策の教材が決まり、本格的に司法試験勉強がスタートしました。
サラリーマン独学2年合格の弁護士の本にしたがい、まずは入門編の本(3時間でわかるシリーズ)6冊を購入。やさしく書いてあるので、まずはクリア。
次は、いよいよ受験対策の本です。当時、司法試験用教材は大手4予備校から出版されていて、迷いましたが、試しに入門編と同じ予備校の憲法の本を購入、取り組みましたが、理解不能。
条文1条に数ページ~十数ページもあり、知識でなく、見解、解釈がかかれていて、ちんぷんかんぷん。
これは無理だと思い、違う予備校の、もっと初歩的なところから書かれている本に変更しました。
これで、まずは本格的受験対策の教材が決まり、本格的に司法試験勉強がスタートしました。