2009年10月31日
大テニススクールのハプニング(飛行機止めちゃった)
大テニススクールは、月1~2回のペースで全国各地で行われ、その都度、日本のトップクラスのプロテニス選手(いわゆるトーナメントプロで、日本ランキング上位)に、アシスタントコーチとして、大学テニス同好会のトップクラスが加わりました。ある地方都市で行なわれたときですが、例によって飛行機で移動でした。同好会メンバーの航空券は私が全員分を持って、羽田空港集合でしたが、1人時間になっても来ません。今と違い、携帯電話がないので、家(1人でアパート暮らしの学生)へ電話しても出ません。搭乗手続き〆切時間が迫って、どうするか?家は出たので、来るだろうと思い、全員分の航空券はカウンターに出し、飛行機に乗りました。出発時間となっても来なかったので、諦めましたが、今度は飛行機が離陸しません。おかしいなと思ったら、搭乗手続きをした人数と搭乗した人数が合わないので、調査しているとのアナウンス。まずいと事情を話し、少々遅れて離陸しました。(30年以上前ですが、あらためて、申し訳ありませんでした。)遅れた同好会メンバー(学習院の同好会)は、到着した空港でやっと連絡がつき、遅れても、すぐ来るようにと指示、交通費は自腹と言いましたが、あとで補填しました。冷や汗ものでしたが、テニススクールも無事に進み、やれやれでした。

2009年10月29日
大テニススクールその2(続き)
熊本空港から会場のテニスコートに着くと早速、スクール開始です。プロ選手が2名、同好会のアシスタントコーチ5名、プラス私がアシスタントコーチに入りました。当時の日本のトッププロですから、生徒さんはもちろん感激ですが、私達アシスタントコーチも、トッププロと同じコートに立ちテニスをすることに感激するとともに、緊張しながら、教えていました。1日目の夜は、トッププロ、生徒さんを交えたパーティがあり、ビンゴや、ディスコ(古いですね)を行い、皆でヤングマン(西城秀樹の)を踊ったことを覚えています。パーティが終わった後は、同好会のメンバーを連れて2次会へ、初めて自分で交際費というものを使いました。2日目は、夕方までスクールで、終わるとすぐに空港へ。帰りは2度目の飛行機なので、それほど緊張せず、逆に、乗った飛行機(トライスター)の大きさに驚き、設備(オーディオ)に感激し、飛行機好きになってしまいました。夜遅く、無事羽田空港に着き、同好会メンバーからは、次回もぜひと頼まれるくらい良かったようで、心地よい気分で自宅へ戻りました。
2009年10月25日
大テニススクールその2
2回目は、私も参加、場所は熊本で、このときのトーナメントプロは、当時の日本1、2の現役選手他でした。1泊2日のスクールでしたが、熊本ですから、当然飛行機ですが、今まで飛行機に乗ったことがなく、飛行機に乗ることが一番の不安でした。今でも覚えていますが、DC9機で、こんな大きなものが(あとで乗った、ジャンボやトライスターに比べれば、格段に小さいのですが)、空を飛ぶことが信じられませんでした。プロ選手と席は隣でしたが、プロ選手は慣れたもので、離陸後すぐに寝てしまいましたが、私は、緊張で、ずっと外を見ていました。約1時間30分後、無事(あたり前ですが)熊本空港へ着陸、ほっとする間もなく、テニスコートへと向かいました。
2009年10月24日
大テニススクールの後援
入社半年位した頃、トーナメントプロをメインコーチにし、全国各地でテニススクールを行うというイベントの後援の話があり、私がアシスタントコーチを集め参加することになりました。私が同好会担当であったこと、また同好会とトーナメントプロとの接点がなかったこと等から、同好会上位選手の人に声をかけ、アシスタントコーチを行ってもらいました。シングルスの優勝者、準優勝者をはじめシード選手、ダブルスのシード選手等、関東学生同好会連盟のトップクラスの人が参加、学習院からは、オッターとサンのNO1に参加してもらいましたが、残念ながら当時のGSSパンサーはちょっと無理でした。1回目は確か秋田県で開催、私は、別の仕事で参加できませんでした。普段、テニススクールでアルバイトコーチをしている人がほとんどでしたが、さすがに、トーナメントプロと同じコートに立つのは、初めてで、皆喜んでいました。
2009年10月18日
学習院オープンの後援に
同好会担当として、当然、学習院オープンの後援を行いました。GSSパンサーをはじめ、オッター、サンの学習院の後輩達と打ち合わせ、ドロー表に自社の広告を掲載してもらい、そのかわり、大会で使用するボール(もちろん自社製ボール)を提供しました。また、後援会社の担当として、大会視察も仕事になりましたので、卒業後もGSSパンサーと関係は続いていきました。学習院オープンの結果は、第1回と同様まだ、GSSパンサーは弱く、オッター、サンが上位を占めていましたが(現役のサイトを見ると、今は当時と違いGSSパンサーが上位のようです)。ところで、以前、GSSパンサー現役時代に、第1回学習院オープンの後援でテニスショップ(店名は忘れた)にもお願いしたと記載しましたが、確か、目白の「ジャヌー」さんだったと思います。
2009年10月17日
GSSパンサーのテニスにも参加
テニスメーカーに勤務しながらも、同好会担当ということで、同好会連盟との関係構築(確か連盟幹部とテニスメーカー各社との懇親会もあり、参加したり)、上位選手への自社製品使用交渉などを行いながらも、たまにGSSパンサーの練習にも参加しました。(もちろん勤務時間中に、仕事として)。3、4年生がやりずらくないように、練習中は一切口を出さずに、一部員のようにテニスさせてもらいました。テニス後は現役時代と同様、飲みに行ったりし、おかげで、新1年生とも仲良くなることができ、いや~、30年後の今思い出しても楽しい時でした。
2009年10月12日
インターハイ
テニスメーカーに入社し、最初のインターハイの季節がやってきましたが、テニスメーカーにとっては、ビッグイベントでした。まず、インターハイ(本選)が始まる前が、一仕事で、全国を数名の部員で担当し、都道府県予選の結果をいち早く調べます。そして、都道府県代表高(団体戦)や選手(個人戦)が決まると、その高校へ、自社製品の使用を売り込みに行きます。当然、他メーカーも行きますから、早さとサービスが求められます。団体戦のウエアは超格安で(無料提供もあったような)、個人戦の選手のラケットも同様です。なかには、売り込みの際、選手の練習相手をつとめることもありました。高校生とはいえ、インターハイ出場選手ですから、男子選手は、先輩社員がつとめ、私は女子選手相手でした。ある強豪高(インターハイ上位常連)でのこと、そのNO1女子選手とシングルスの1セットマッチをしましたが、まずミスをしない選手で、また観戦している他の女子選手の視線等(負けたらカッコ悪いなと)気にしつつ、結局タイブレークの末、負けてしまいました。終了後、逃げ出したい気持ちでしたが、それでは仕事にならないので、本人には「強いね、本選でも頑張ってね」と、監督教員には「いい選手ですね」と言って、その場をつくろいました。いや、今思っても、恥ずかしい想い出です。

2009年10月11日
サンスクエアテニスクラブ
自宅最寄り駅近くに出来たサンスクエアテニスクラブのオープンと同時に会員となりましたが(これは以前記載したとおりです)、ほぼ同年齢(20代前半~後半)の仲間が出来ました。ただ、仕事がら土日が休めないことが多く、平日に仕事を早めに切り上げ、多少アフター5も控えて、ナイターでテニスをしました。クラブ営業時間が午後9時までだったので、だいたい7時から2時間位テニスをするという生活です。テニスメーカーに勤めていても、自分の楽しみのテニスというのは、出来ないので、このサンスクエアテニスクラブでのテニスが楽しみで仕方なかったです。ちょうど、学習院時代に、毎日GSSパンサーのテニスが楽しくて仕方なかったように。
2009年10月10日
テニスメーカーでのアフター5
社会人の一般的なアフター5は、飲み会で、テニスメーカーももちろん飲み会中心でしたが、やはりテニスメーカーだなと思ったのは、テニス+宴会でした。業務終了後、部員みんなで、ホテルのインドアテニスコートでテニスを行い、その後、宴会、そのままホテルへ泊まるといものでした。全日本経験者や県大会優勝者等の先輩社員とテニスをして(レベルの差を感じながら)、一杯と。GSSパンサー時代も、テニス後に、よく池袋のロサ会館(まだあるのかな)で、店員に価格交渉してみんなで飲み会をしましたが、さすが、社会人でかつテニスメーカーだなと思いました。もちろん、費用は自腹ですが、飲み会は先輩がかなりもってくれました。

2009年10月04日
テニスメーカーは多忙でした
メインは同好会広報担当でしたが、硬式テニスの広報部員が少なく、一般イベント(主催、協賛するテニススクール、テニス大会等)の運営や、インターハイ、インカレでの広報等も手分けをして担当していたので、結構多忙でした。特に、土日やGW、夏休み、年末年始にイベントが集中し、休めない日が多かったですね。平日に代休が取れるのですが、平日も仕事はあり、また、なんとなく平日に休みにくい雰囲気もあり、結構大変でした。でも、仕事は楽しく、最初のGWは、軽井沢でのイベント運営でした。軽井沢といえば、GSSパンサーの最初の夏合宿で行きました(もっとも北軽井沢でした)が、今回は中軽井沢でした。テニスメーカの車(バンタイプ)で、関越自動車道をいざ軽井沢へ。入社して知ったのですが、テニスをメインにしている民宿やペンションは、だいたいどこかのテニスメーカとタイアップしていて、このときも、自社と提携していた民宿を会場に、テニススクールの運営を行いました。入社直後のGWだったので、事前準備は、ほとんど先輩社員が行い、私は、アシスタントコーチや自社製品PR、提携民宿との顔つなぎの挨拶まわり等々を行いました。空いた時間に浅間山近くへ行ったりと、GWの休みはなかったですが、楽しかったですね。
2009年10月03日
関東大学同好会選手権
テニスメーカーの大学同好会広報担当として、正式名称は忘れましたが、同好会選手権のベスト8くらいからの試合を見ましたが、そのレベルの高さに驚きました。GSSパンサー時代は、学習院ではオッター、上智ではSLTA、立教ではオールホワイトが強かったのですが、同好会選手権の上位は、中大ローン、東大トマト、日大アップル、青学理工、PCB等で、インカレ1~2回戦レベルと思われました。実際、当時、シングルで毎日選手権の本選に出場したり、ダブルスで全日本選手権の本選に出場した人もいました。そうした中から、自社製品を使用してもらったり、自社イベント(スクール等)を手伝ってもらう選手を探すことにしました。