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GSSパンサー発足から現在までのテニス人生 GSSパンサーテニスクラブを発足させてから、30年以上のテニス人生を

レオ
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なかなか見つからないテニスクラブ

道路地図を片手に車で市内をドライブしながら、テニスクラブを探しましたが、なかなか適当な所が見つかりませんでした。
サンスクエアテニスクラブのときは、私1人だけがクラブ会員(女房は、遠距離で離れていましたので)でしたが、結婚後は、2人ですので、入会金、月会費も当然2人分かかり、市内では、近くていいと思っても、「うわ~高くて無理」とか、入会可能なところはありませんでした。
仕方がないので、探す範囲を市外にまで広げ、ちょっと遠かったのですが、やっと隣の市に、入会可能なテニスクラブを見つけることができました。
テニスクラブ | 投稿者 レオ 21:16 | コメント(0)| トラックバック(0)

まずはテニスクラブを探す

テニスメーカーを退職、結婚して、東京から千葉へ引っ越しましたが、なにはともかく、今までのサンスクエアテニスクラブに代わるテニスクラブを探すことにしました。
しかし、もちろんインターネットはない時代で、テニス雑誌にも、それほど多くの(まして千葉県の特定地域の)テニスクラブの会員募集の広告はありませんでした。
また、サンスクエアテニスクラブへは、東京の家から徒歩10分で行けましたが、千葉では徒歩圏には見当たらず、まずは自動車を購入しました。
次に、道路地図を購入し、探し始めましたが、当時の道路地図には、ほとんどテニスクラブの表示がなく、休日にドライブがてら、テニスクラブを探す日が延々と続きました。
テニスといえば、近所の空き地(空き地だけはたくさんあり)で、女房とボレーボレーをする程度でしたね。
テニスクラブ | 投稿者 レオ 19:45 | コメント(0)| トラックバック(0)

ラケット持って新婚旅行に

ついでながら、新婚旅行の話を。
海外滞在型リゾートの地中海クラブへ行ったのですが、通常の海外旅行の荷物のほか、テニス道具一式を持って行きました。
地中海クラブでは、海を中心としたスポーツ(水泳、ヨット、サーフィン、ウインドサーフィン)のほかに、バスケ、バレー、そしてテニスができ、インストラクターもついています。ただ、その道のプロというより、いろんなことが出来る人が国籍を問わず、インストラクターをしていました。
テニスは、外国人(国籍不明、英語を話していましたが)がインストラクターで、相手をしてもらいましたが、結構私が打ち勝っていました。(日中は暑すぎるので、朝と夕方にテニス。)
日中は、ウインドサーフィンに初トライしましたが、これまた外国人インストラクターで、英語で説明されても、ちんぷんかんぷんで、板に乗っている時間より、海に落ちている時間の方が多かったです。
結局、観光ではなく、テニスやウインドサーフィンなど、スポーツ三昧の新婚旅行でした。
日記 | 投稿者 レオ 20:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

結婚式はGSSパンサー同期会

GSSパンサーで最初に結婚したのが私で、結婚式には、GSSパンサー創設同期全員(他にも後輩を何名か)に来てもらいました。第1回のOB会の前だったので、まるでGSSパンサー同期会のようでしたね(特に2次会が)。
あと人数の関係で招待できなかった後輩が、結婚式場に花束を持って駆けつけてくれて(「青が散る」にも同様な場面がありましたね)、今でも思いでに残る結婚式でした。スマイル
GSSパンサー | 投稿者 レオ 19:12 | コメント(0)| トラックバック(0)

大遠距離恋愛

テニスメーカーを退職直後、結婚したのですが、相手(今の女房ですが)は、大テニススクールで、Kプロ選手と九州に行ったときの、スクール生でした。
30年前の東京と九州ですから、知り合ってからの連絡手段や費用が大変でした。
当然、携帯電話もパソコンもありませんので、自宅の電話か公衆電話ですが、電電公社(今のNTTで、当時の電話会社は1社しかありません)の料金は、長距離料金がすごく高く、百円玉を何十枚も持って、公衆電話で話をしていました。
また、会いに行くのも大変で、当時の航空運賃は、たぶん今と同じか、割引運賃がないので、高かったかもしれません。往復で5万円前後だったと思います。それでも、土曜日朝の飛行機で行って、日曜日の夜の飛行機で帰ってくるというハードスケジュール。おかげで、最初は苦手だった(怖かった)飛行機が、大好きになりましたが。当時としては、たぶん大遠距離恋愛だと思いますが、2年間続いて、結婚しました。
大学生活(GSSパンサー)、社会人スタート(テニスメーカー)、結婚(テニスで知り合い)と、全てがテニスに関連していましたね。
日記 | 投稿者 レオ 19:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

「青が散る」補足

「青が散る」に出演していた石黒賢ともう一人テニスが上手かった人が誰れだったか気になって調べてみたら、清水善三でした。ウインブルドンやデ杯で活躍した清水善造選手の孫で、テニスが上手いのも納得。テニスメーカー勤務当時のトップ選手はだいたい会ったことがありますが、清水善造選手は、それよりもかなり前に活躍していた選手で、わかりませんでした。
なお、主題歌は、松田聖子の「青いフォトグラフ」(これまた、なつかしい)でしたね。
テニス | 投稿者 レオ 20:41 | コメント(0)| トラックバック(0)

「青が散る」でビデオ購入

テニスドラマで有名なのは、「エースを狙え」、「テニスの王子様」ですが、どちらも中高生が主人公の天才テニスプレイヤーの物語でした。
GSSパンサー初のOB会が開かれた前後に、大学生の青春ドラマで「青が散る」(GSSパンサー23期生のコメントにも記載)が放送されていました。
石黒賢、佐藤浩市、川上麻衣子の3名が一からテニス部を作っていくというストーリーで、GSSパンサー設立当時のこと(完全に自分にかぶらせていました)が思い出され、絶対見たい番組でした。
ただ、確か木曜か金曜の夜8時開始だったため、仕事がちょっと遅くなると見逃してしまいます。そこで、当時、大卒初任給よりも高かったビデオデッキ(しかも今はないベータ方式)を購入し、録画したものを何回も見ていました。
ストーリーだけでなく、石黒賢のテニスもさすが、石黒修プロの息子だけあって上手でしたし、もう一人、今はあまり見ない俳優ですが、石黒賢よりも上手い男子学生役が出ていて(もちろんテニス場面だけのふき替えやCGはなく)、楽しいドラマでしたね。
*ビデオ代はかなり痛かったですが。やっちゃったぁ





日記 | 投稿者 レオ 22:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

GSSパンサー初のOB会

ちょうどテニスメーカーを退職した後に、GSSパンサー初のOB会が開かれました。私達は一期生であり、当初はOBといっても、私達の代しかいなかったこと、また社会人当初はやはり同期の皆んな仕事が忙しかったり、転勤したり等でなかなかOB会が開けませんでした。
そうしたときに、確か当時の現役生が主体となって、現役、OB交流会の形で、初のOB会が開かれました。
GSSパンサー発足時から、自分達でGSSパンサーを育ててきたと思い上がってきましたが、現役生の行動に痛く感激した思いがありました。
場所は覚えていませんが、ホテルかホールで立食形式で、大勢の現役生、OB達と懇談しました。今でも本当にありがとうの思いです。ナイス!
GSSパンサー | 投稿者 レオ 21:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

サンスクエアテニスクラブ退会

テニスメーカーを退職後(転職後)ほどなく、結婚し、生まれ育った東京から千葉へ引っ越しました。
創設以来会員であったサンスクエアテニスクラブは、今までは家から徒歩10分が、今度は電車を使い2時間もかかるため、残念ながら退会しました。
せっかく、サンスクエアテニスクラブの同年代と作ったゴールデンカップという仲間達とも分かれることになり、自分で選んだ道とは言え、寂しい思いでした。悩んじゃう
テニスクラブ | 投稿者 レオ 19:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

テニスメーカー退職後の進路

テニスメーカーを退職すると決め、考えた進路は、3つありました。
①他のテニスメーカーへ;現に私の退職の前に、先輩がライバルメーカーに転職しました。しかし、募集自体がほとんどなく、かつインカレや日本選手権出場レベルの実績がないと、なかなか声がかからない実態でした。かつ、趣味と実益一致ゆえの悩みは解消されないので、候補から外しました。
②テニスコーチへ;これは、私の退職したあとですが、やはり先輩社員で転職した人がいました。こちらは、インカレ等の実績がなくても、同好会+テニスメーカー勤務の実績で就職先はありました。しかし、20代の今(当時)はいいとして、30代までで、40代以降は職業として無理ではないかと、かつこちらも、趣味と実益一致ゆえの悩みは解消されないので、候補から外しました。
③テニスとは全く関係のない、業界、職種へ;最終的に、まだ就職後2年超(当時は第二新卒という言葉はなかった)でしたので、未経験の業界、職種へ転職しました。
こうして、GSSパンサー発足から、約6年、朝~晩までテニス漬けの生活から、週末草テニスプレイヤーの生活へと大転換することになりました。ビミョー
日記 | 投稿者 レオ 17:14 | コメント(0)| トラックバック(0)
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