2010年01月26日
テニスメーカー退職を決意
入社当時は、シェア日本一であった会社もデカラケの登場で、その将来性に疑問と不安が強くでてきました。このまま今の会社で働いていけるのか、会社は存続するのか等々悩みに悩みましたが、最後の決断は、もうひとつの悩みであった趣味と実益の一致ゆえの悩みが、退職するという背中を押しました。ちょうど、入社して丸2年がたったときです。同期、先輩からは当然引き留められ、また、結婚を半年後に控え、親、婚約者(今の女房)からも怒られましたが、私の決意は変わらず、退職することとなりました。
*私の勤務していたテニスメーカーは、私の退職の約2年後に倒産となりました。
*私の勤務していたテニスメーカーは、私の退職の約2年後に倒産となりました。
2010年01月23日
デカラケがテニス業界を一変させる!
約30年前、最初は、邪道と言われていたデカラケが、またたく間にテニス界に広まり、特に、日本で行われた試合で、キング夫人とナブワチロワのダブルスペアが、Y社のRシリーズを使用した時は、衝撃でした(実際、試合会場まで行き目の当たりにしたので)。テニス業界は、デカラケを中心とする企業と、従来のラケットを中心とする企業に分かれましたが、瞬く間に、デカラケを中心とする企業が業界のシェアを一変させることになりました。私の勤めていた企業は、従来の方でしたので、その荒波にさらされ、自分としても、その将来に疑問と不安を強く感じるようになりました。
2010年01月16日
趣味と実益の一致ゆえの悩み
GSSパンサー時代は、本分は学生(学業)であり、あくまで課外活動としてテニスをしてきました(かなりドップリでしたが)。ある意味公私の区別がついていたわけです。
テニスメーカーに就職して1年半位たち、ある悩みにぶつかりかした。それは、仕事もテニス、趣味もテニスで、公私が一緒で、仕事でのストレスをテニスで解消ということができないということです。就職内定したGSSパンサー時代は、趣味と実益が一致したすばらしい職業と思っていたのが、実際は一致するゆえの苦悩がありました。
趣味で入ったサンスクエアテニスクラブでもコーチをし、製品のPRもし、さらに、プロや体育会出身ではありませんが、やはりテニスメーカー勤務ということで、それなりの実力があると思われ、クラブ内の試合でも、変なプレッシャーを受けていました(これは、応援で参加した単発のテニススクールでも同じで、レッスン後にコーチにぜひ挑戦したいという人が出てきます。時間がないと断ればいいのですが、なかなかそうもいかない事もあり、大勢の生徒さんの中で、上手な生徒さんと試合をするのは、かなりのプレッシャーでした)。
さらに当たり前ですが、総合テニスメーカーですから、ラケット、ウエア、シューズ、ボールまで、全て自社製品を使用しなくてはならないのですが、たまに、評判のいい他社ラケットがあると、使用したいなという浮気心も出てきます。
そんなかんだで、だんだんとテニスをすること、テニスに関わることに楽しさを感じられなくなってきた時でした。
テニスメーカーに就職して1年半位たち、ある悩みにぶつかりかした。それは、仕事もテニス、趣味もテニスで、公私が一緒で、仕事でのストレスをテニスで解消ということができないということです。就職内定したGSSパンサー時代は、趣味と実益が一致したすばらしい職業と思っていたのが、実際は一致するゆえの苦悩がありました。
趣味で入ったサンスクエアテニスクラブでもコーチをし、製品のPRもし、さらに、プロや体育会出身ではありませんが、やはりテニスメーカー勤務ということで、それなりの実力があると思われ、クラブ内の試合でも、変なプレッシャーを受けていました(これは、応援で参加した単発のテニススクールでも同じで、レッスン後にコーチにぜひ挑戦したいという人が出てきます。時間がないと断ればいいのですが、なかなかそうもいかない事もあり、大勢の生徒さんの中で、上手な生徒さんと試合をするのは、かなりのプレッシャーでした)。
さらに当たり前ですが、総合テニスメーカーですから、ラケット、ウエア、シューズ、ボールまで、全て自社製品を使用しなくてはならないのですが、たまに、評判のいい他社ラケットがあると、使用したいなという浮気心も出てきます。
そんなかんだで、だんだんとテニスをすること、テニスに関わることに楽しさを感じられなくなってきた時でした。
2010年01月11日
デカラケの衝撃
ラケットといえば、30年前はウッドのレギュラーサイズ(あたり前なので、こういう言葉も使いませんでしたが)で、その他、アルミ製(アッシュが使用)やスチール製(コナーズが使用)がありましたが、やはりフェイスサイズはレギュラーサイズでした。そういう状況下で、テニスメーカーに入社1年が経った頃、デカラケが登場(確か最初はプリンス製)しました。出たての頃は、ボレーだけにはいいが、邪道という評価でした。ビールでいうと、ラガービールがシェアを独占している時代に、ドライビールが登場した状況で、時期的にも、ほぼ同時期でした。このデカラケの登場が、おって私の人生も大きく変えることになりました。
2010年01月03日
テニススクール(合宿)応援参加の続編
山中湖でのテニススクール(合宿)に大勢で参加してくれた千葉県の某県立女子高校(確か1校しかないので、千葉女子高です)のテニス部員から、帰り際、ぜひ高校に来て教えて欲しいと言われました。会社員ですから、一応会社の了解をとり(広報活動の一環ということで、このあたりは理解がある会社でした)、いざ単身女子高へ。1人では、学校に入りにくいので、学校の近くまで、迎えに来てもらい、校門は無事通過。次にテニス部の顧問の先生(今の私くらいの年齢の男性教師)へのご挨拶、ここは会社の名刺が大きな効果があり、快く迎えていただきました。平日の授業後だったので、2時間位、レッスンというか、楽しく一緒にテニスをしたという感覚でした。その後は、一緒にテニスをする機会はなかったのですが、数年後に劇的な再会をすることになりました。(それは、またの機会に。)
2010年01月02日
テニス営業の厳しさ
営業に異動後、担当地域のテニスショップを1日数件まわり、自社製品の注文をとるのが主な仕事になりました。ラケットからウエア、ボール、小物等々自社製品には多くの種類があり、当然、各メーカーの得意分野、不得意分野があります。私の勤務していた会社は、総合テニス用品メーカーでしたが、ラケットが得意分野で、次がウエア、しかしボール、小物はほとんど知名度がない状態でした。それでも、注文金額を上げるためには、多くを売り込まなくてはいけません。逆にテニスショップは、売れ筋製品だけを注文しようとします。ある例では、ラケットで一番の売れ筋製品を数十本まとめて、短期間に納品するならという条件つきで、他の製品も注文するというものでした。ただ、以前も記載しましたが、在庫管理が完璧でないため、短期間で多量の売れ筋ラケットを納品できるか返事ができませんでした。納品期間を伸ばす、数量を分割する等の交渉をしましたが、譲ってもらえず、多量の受注を目前に、結局、そのショップからは注文をとれず、あきらめて帰社しました。
