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GSSパンサー発足から現在までのテニス人生 GSSパンサーテニスクラブを発足させてから、30年以上のテニス人生を

レオ
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サンスクエアテニスクラブでコーチを始める

趣味のためにオープンと同時に入ったサンスクエアテニスクラブでしたが、専属コーチとも仲よくなり、かつその専属コーチの師匠コーチ(意外と知られていませんが、テニスコーチにも子弟関係があります)が、自社契約プロでした。サンスクエアテニスクラブのコーチは、その専属の方1人でしたので、手がたりないようで、ジュニアのコーチをという話が私にきました。本来は、副業になるので(当時はどこの会社も副業禁止が常識)、会社業務以外でのテニスコーチはダメなのですが、師匠コーチとの関係もあり、OKとなりました。サンスクエアテニスクラブで、テニスを楽しみ、かつジュニアに教え(当然コーチ料もいただき)、会社がテニスメーカと、テニス一色の生活が続きました。
テニスクラブ | 投稿者 レオ 21:09 | コメント(0)| トラックバック(0)

世界NO1プレイヤーと同じコートに立つ

大テニススクールは、日本のトッププロをメインコーチに行われましたが、一度だけ、外国人プロを招いて開催されました。なんと当時の世界NO1、ウインブルドンチャンピョンです。毎回、日本のトッププロと同じコートに立て、アシスタントの大学同好会メンバーは感激していましたが(私は仕事からコート外でも接触する機会があり、彼らほどではないにしろ同様でしたが)、このときは感激を超えて、完全に舞い上がっていました(生徒さんには申し訳ないですが)。練習で、世界NO1プロのボールを受けましたが、超トップスピンの選手だったので、来たボールのバウンドが私の頭上を超えていきました。今まで、テレビ、雑誌でしか見たことがなかった世界NO1のレベルを目の当たりにし、一生の財産、貴重な経験となりました。スマイル
テニスメーカ | 投稿者 レオ 08:45 | コメント(2)| トラックバック(0)

テニスショップまわり

トッププロをメインコーチ、同好会トップをアシスタントコーチで行われた大テニススクールは、関東以外の道府県で行なられましたが、私の目的は、スクールに参加して、自社製品をPRすることと、同好会トップとの関係を深めることでしたが、それだけでは物足りないとの指示で、途中からスクールの前日に目的地へ入り、地域のテニスショップをまわりました。行なったのは、挨拶、売行き動向の情報交換に加え、陳列の変更を行います。これは、テニスショップの一番いい場所(例えば、入り口近く)に、他社製品が並んでいたら、その場所に自社製品を並べて、他社製品は、あまり良くない場所へ移動させます。どのメーカーも行っているので、いたちごっこですが、会社指示でせっせと行いました。ただ、たまにテニスショップの方に、勝手に陳列を変えないようにと怒られることもありました。確かに、ショップの方も、思い、考えがあって陳列しているのですから、当たりまえですが。大テニススクールは、月2回ペースで、私はテニスショップまわりが加わったので、金曜日~日曜日の2泊3日の出張というパターンでした。
テニスメーカ | 投稿者 レオ 19:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

関東大学同好会クラブ対抗トーナメントを後援

テニスメーカーの同好会広報担当として、(学習院オープンは後援しましたが)、さらに大きい大会の後援をしたいと思っていましたが、個人戦は既に他メーカーの牙城があり、クラブ対抗トーナメント(男子では、S5、D4の団体戦)の交渉をし、何とか後援することになりました。ドロー表に広告を掲載、大会球を提供、提携テニスクラブを試合会場にとしました。この頃には、連盟幹部や上位選手とも関係が築け、自社製品を使用してくれる選手も増え、一応順風満帆でした。さらに、私の代には、実現出来なかった、GSSパンサーの連盟加盟を後輩達が実現してくれ、GSSパンサーのクラブ対応トーナメントの試合を見に行きましたが、結果は、残念でした。
テニスメーカ | 投稿者 レオ 20:12 | コメント(0)| トラックバック(0)

サンスクエアテニスクラブのゴールデンカップ(金盃)

テニスメーカーでは休日出勤は多かったですが、平日の残業はほとんどなく、仕事が終わると、サンスクエアテニスクラブに直行し、だいたい19時~21時までテニスをするというパターンでした。そのうち、クラブ内でグループが出来、同じメンバーでテニスをし、その後飲みに行くのもパターンとなりました。メンバーは、同じ世代(当時の20代中~後半)の男女、約10名で、飲み行く店が毎回一緒で、「金盃」という店で、金盃を英語にし、グループ名を「ゴールデンカップ」と名づけました。毎日、21時までテニスでそれから飲み会でしたが、やはり若かったせいか、まったく疲れを感じず、逆に雨の日には、気が抜けてしまうほどでした。大学時代は、GSSパンサーを創設し、社会人となってからは、会社では初の同好会広報担当、出来立てのサンスクエアテニスクラブでは、同好の集まり(ゴールデンカップ)に加わる等、テニスでは、自分で新しいことをするのが、好きだったのですね。ちなみに、あとで聞いたのですが、ゴールデンカップのメンバー同士で結婚した仲間もいました。
テニスクラブ | 投稿者 レオ 19:18 | コメント(0)| トラックバック(0)
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