2009年09月28日
同好会の市場調査
テニスメーカー広報部での本格的な仕事の第一歩は、大学同好会の市場調査でした。体育会等では、大会毎に自社製品がどのくらい使用されているか(要はシェア)を調べるのです。同好会といっても、数が多いですし、創立者であるGSSパンサーや学習院の同好会(この当時はオッター、サンにも影響力があったので)だけでは、正しい数値は出ないので、関東大学同好会選手権で調べました。当時は、中大ローン、東大トマト等が強かったですが、残念ながら、自社製品のシェアは、体育会等に比べて低かったですね。しかし、ここから、次の仕事へと進んでいくことになりましたが。
2009年09月27日
テニスメーカーでの仕事(ガット張り)
広報部には、数十名の社員がいましたが、硬式テニス、軟式テニス、バドミントンと3つに分かれ、かつ選手社員がいましたので、実務を行う社員は、硬式テニスでは、数名でした。仕事の中には、契約プロ、社会人やインカレクラスの選手のガット張りがありました。GSSパンサー時代は、ガット張りを頼む立場でしたが、自分で張るのはもちろん初めてです。先輩社員に教わりながら、まずは自分のラケットで練習し、その後、主に学生のガット張りを行いました。当時は、ウッドのラケットに55~60Pで、ハイシープを張っていましたが、固めというのが難しく、張っているとどうしてもゆるんでしまい、何回も張替えをして渡していました。もちろん、プロ選手は、ナチュラルシープを厳密なポンド数で張らなくてはならず、ベテランの先輩社員が担当していました。たまに、GSSパンサーの後輩がきてくれて、後輩のラケットも練習がてら張っていました。(もちろん料金はもらいましたが、社員割引料金で。)
2009年09月23日
会員制テニスクラブに加入
GSSパンサーを卒業し、テニスメーカーに就職した後位だったと思いますが(なにせ30年以上前のことで)、自宅から徒歩10分位の最寄駅(JRただし、当時は国鉄の王子駅)前に、民間の会員制テニスクラブができることを聞きました。完成前のクラブ説明会に参加し、社会人1年生には大金でしたが、早速申し込みを済ませました。ナイターもあるので、休日(当時は完全週休2日制ではなく、土曜は半分位の休み)だけでなく、平日の会社帰りにもできるのではという目論見です。クラブ名は、(これもたぶんですが)サンスクエアテニスクラブ。GSSパンサー設立、テニスメーカーで初の同好会広報担当、出来たばかり(実際は出来る前からですが)の会員制テニスクラブのメンバーになると、結構、初物ずくしだったなあと、今では思っています。
2009年09月21日
テニスメーカーでの配属先
新人研修(倉庫業務)が終了すると、いよいよ配属です。入社試験のとき、テニスメーカーが体育会重視だが、圧倒的にテニス人口は同好会の方が多く、このマーケットを逃すことはないと言ったこともあり、広報部勤務で、おもに同好会および一般ユーザーを担当することになりました。体育会担当は、インカレやインターハイクラスの選手に自社製品を使用してもらうことが以前からの主な業務でしたが、初の同好会担当ということで、さて何からやろうかと悩みました。しかし、GSSパンサーにまた関係して仕事ができるので、ある意味うれしい仕事で、早速、学習院オープンのスポンサーになるべく、後輩達を訪ねました。学習院連盟を立ち上げた経緯もあり、GSSパンサーだけでなく、オッターやサンの後輩達にも知り合いがいて、すんなり、決まりました。学習院オープンのドロー表に広告を掲載し、かわりに試合球を無料提供するというものでした。おまけに、後輩達との打ち合わせがてら、GSSパンサーの練習にも参加してしまいました(もちろん仕事として勤務時間中です!)。さらに、社員販売価格で、GSSパンサーおよびサンやオッターの主力メンバーに、自社製品を販売し、狭い範囲ですが、シェア拡大をしていきました。
2009年09月13日
2009年09月05日
社会人(テニスメーカ勤務)のスタート
GSSパンサーテニスクラブを卒業し、いよいよ社会人生活のスタートとなりました。入社したテニスメーカーでは、同期入社が約30名でしたが、入ってビックリ。業界ではあたり前だったのですが、半数以上は、選手枠で入社した人で、体育会で活躍した人、インカレクラスの人等で、私のような一般入社(同好会出身者や、趣味レベルの人)は少数でした。選手枠は、母校の体育会テニス部へ影響を与えることと、当時は、一流選手でも、プロ選手になる人が多いわけでなく、アマの社会人選手として活躍している人が多かったのです。全日本でも、プロでなく、アマが優勝することもある時代でした。社内では、テニマガやスマッシュで見た選手が、先輩社員にいて、驚きでした。