2009年08月22日
GSSパンサーテニスクラブを振り返って
今までの記載で、GSSパンサー発足から卒業までの記載は終わりますが、私の大学生活は、テニス漬けというよりも、GSSパンサー漬けでした。ゼロから作り上げ、紆余曲折しながら運営し、無事後輩へ引継ぎ、GSSパンサー一色の大学生活でした。また、それにより、私の人生も大きく影響を受けることになりました(これは次回以降に)。さらに、GSSパンサーで知り合い、結婚した後輩もいて、GSSパンサーを作らなければ、知り合うことがなかったと思うと、大勢の仲間、後輩に影響を与えたのかと思います。現在も、学習院と上智だけとのことですが、歴史が引き継がれており、本当にうれしい限りです。

2009年08月12日
GSSパンサー2回目の春合宿
GSSパンサー2回目の春合宿は、我々1期生にとっては、社会人まで1カ月を切った時期で、参加しないか、ちょっと顔を出すくらいですが、私は1週間フルに参加しました。やはりGSSパンサーを生み出し、育て、そして卒業していくことへの思いから、参加せずにはいられませんでした。場所は、1回目と同じ、千葉の白子△△ホテルでしたが、もちろんホテルは全て完成してました(1年たったからあたり前ですが)。昼はもちろんテニス、夜は飲み会後に、近くの海岸へ行きました。ある夜は、数人の後輩男子と、夜の海岸で、ワイルドワンズの「想い出の渚」(古い過ぎたかな?)等々を熱唱、30年たった今でも、鮮やかな想い出となっています。

2009年08月10日
GSSパンサー初の追い出しコンパ
遅ればせながら、私の就職も内定し(確か、私が最後で同期の進路が決まりました)、最後の行事である、初の追い出しコンパが行われました。クラブの名前もない時から、2年超、GSSパンサーの運営、活動に明け暮れた大学生活でしたが、追い出しコンパの間、この2年超が走馬灯のように、頭の中をかけまわりました。コンパ後、よく覚えてないのですが、冬なのに、学習院のホジン会館前の池に、同期の誰かを投げ込んだような気がします。(決してマネはしないように。)ここまでよくやってこれたという、うれしさと、もうGSSパンサーを卒業するのだという(本当は大学を卒業なんだけど)寂しさが交錯した追い出しコンパでした。

2009年08月08日
遅ればせながら就職活動へ
GSSパンサー2回目の夏合宿が終了すると、まわりは就職内定したという話が聞こえてきました(4年生の夏休みだから当然ですが)。解禁日の10月1日と思っていた私もさすがにやや焦ってき、自宅にドット届いている就職情報誌(今とちがい就職サイトはないので百貨辞典、これも今ないか?、みたいな何千社という会社紹介誌)で企業研究を始めました。何事もこだわりがある性格で、物を作り出してこそ、お金を得られるものだと考え、金融や商社等は考えず、メーカに絞りました。電機、精密機械、そして、スポーツ全般のメーカ、テニス(含むバドミントン)専業のメーカと。そして、10月1日から、会社訪問を開始したのですが、当然、何をこの時期に来ているのという雰囲気は感じられ、ことどとく不採用となりました。ただ、テニスメーカは、10月でも誠実に対応してくれ、やはりテニスへの思いも強く、内定、就職活動を終えました。実質、1カ月位の短い就職活動でした。就職活動を終えると、またテニス三昧(GSSパンサーの活動とアルバイトコーチ)の生活に戻りました。

2009年08月01日
GSSパンサー2回目の夏合宿
GSSパンサー2回目の夏合宿は、はっきり言ってほとんど覚えていません。1回目は、初めて合宿で、暗中模索で責任者として参加したので記憶に残っていますが、2回目は4年生の1部員としての参加のためでしょうかね。
ただ場所は前回同様軽井沢で、テニスの合間に、二人乗り自転車で、後ろに女子部員を乗せ、軽井沢をサイクリングした記憶があります。ちなみに、彼女とかではなく、かつ名前も忘れてしまいました。もし、見ていたらすみません。(GSSパンサーは、現在35期で、1期20名としても700名の現役、OB、OGがいることになるので、誰か見ているかなと思い。)
なお、この頃からラケット選びが変わりました。以前は、ウイルソンのT2000やクリスエバートモデル(男子なのに)、ヘッドのアーサーアッシュモデル等を使っていましたが、ウッドのゴールデンショットやオールマンに変わりました。明確な理由はないのですが、テニスのスタイルもオーソドックスな形になり、ラケットもそれに合わせた気がします。
ただ場所は前回同様軽井沢で、テニスの合間に、二人乗り自転車で、後ろに女子部員を乗せ、軽井沢をサイクリングした記憶があります。ちなみに、彼女とかではなく、かつ名前も忘れてしまいました。もし、見ていたらすみません。(GSSパンサーは、現在35期で、1期20名としても700名の現役、OB、OGがいることになるので、誰か見ているかなと思い。)
なお、この頃からラケット選びが変わりました。以前は、ウイルソンのT2000やクリスエバートモデル(男子なのに)、ヘッドのアーサーアッシュモデル等を使っていましたが、ウッドのゴールデンショットやオールマンに変わりました。明確な理由はないのですが、テニスのスタイルもオーソドックスな形になり、ラケットもそれに合わせた気がします。