2011年07月02日
壁を超え、壁にぶつかるとき
テニスでも、勉強でも、努力を続けていても、なかなか成果が目に見えない時間が続きますが、ある瞬間、雲が晴れたように、感じたことがあります。
まず、勉強系では。
ずっとさかのぼり、中学生の頃。1学年200人以上いましたが、1年生の時は、だいたい100位~150位の間をうろちょろしていました。
(なお、当時は、公立でも、中間テスト、期末テストの成績一覧表を貼りだしていましたね。今のような公平性から運動会で順位をつけないなんてこともありませんでしたし。)
ところが、2年生2学期から、内容がわかり問題を解くのが楽しくなり、一気に10位台に上昇してしまいました。壁を超え、雲が晴れた瞬間です。
しかし、さらにその上の一ケタ台には、いくら努力しても卒業するまで、入れませんでした。ここにまた壁がありました。
(一ケタ台の同級生は、慶応高校や国立付属高校へ入学するレベルでした。)
次に、資格系ですが、
社会保険労務士の勉強を始めて、9か月目、初めて公開模試を受けましたが、合格圏内からはかなり下まわり、その年の合格は無理かなと思っていました。
しかし、その後の3か月間の総復習で、おもしろいように問題が解けるようになり、無事合格できました。
あの解けないから、解けるに変わる瞬間というのが、何月何日とは特定できないのですが、どこかであったわけです。
最後にテニスですが、
正直、GSSパンサーテニスクラブ~サンスクエアテニスクラブ~カワサキラケット時代を通じて、とにかくテニス漬けの毎日でしたが、どんな小さな大会でも優勝したことはありませんでした。
その後、普通のサラリーマン(週末プレイヤーで、サングリーン三山でテニス)となり、テニスを始めて10年過ぎた頃から、シングルスで負けないようなり、何回か優勝等の経験ができました。

自分のテニスの何が変わったかはわかりませんが、やはり何かの壁を超えたのだと思います。
しかし、やはり次の壁があり、県大会の予選は勝ち抜けるのですが、本戦に行くと、そこに新たな壁があり、なかなか超えられません。
そうこうしているうちに、膝の故障から、長期(13年)リタイアとなってしまいました。
さて、次の壁は何かな?壁を探すのも楽しみです。
まず、勉強系では。
ずっとさかのぼり、中学生の頃。1学年200人以上いましたが、1年生の時は、だいたい100位~150位の間をうろちょろしていました。
(なお、当時は、公立でも、中間テスト、期末テストの成績一覧表を貼りだしていましたね。今のような公平性から運動会で順位をつけないなんてこともありませんでしたし。)
ところが、2年生2学期から、内容がわかり問題を解くのが楽しくなり、一気に10位台に上昇してしまいました。壁を超え、雲が晴れた瞬間です。
しかし、さらにその上の一ケタ台には、いくら努力しても卒業するまで、入れませんでした。ここにまた壁がありました。
(一ケタ台の同級生は、慶応高校や国立付属高校へ入学するレベルでした。)
次に、資格系ですが、
社会保険労務士の勉強を始めて、9か月目、初めて公開模試を受けましたが、合格圏内からはかなり下まわり、その年の合格は無理かなと思っていました。
しかし、その後の3か月間の総復習で、おもしろいように問題が解けるようになり、無事合格できました。
あの解けないから、解けるに変わる瞬間というのが、何月何日とは特定できないのですが、どこかであったわけです。
最後にテニスですが、
正直、GSSパンサーテニスクラブ~サンスクエアテニスクラブ~カワサキラケット時代を通じて、とにかくテニス漬けの毎日でしたが、どんな小さな大会でも優勝したことはありませんでした。
その後、普通のサラリーマン(週末プレイヤーで、サングリーン三山でテニス)となり、テニスを始めて10年過ぎた頃から、シングルスで負けないようなり、何回か優勝等の経験ができました。

自分のテニスの何が変わったかはわかりませんが、やはり何かの壁を超えたのだと思います。
しかし、やはり次の壁があり、県大会の予選は勝ち抜けるのですが、本戦に行くと、そこに新たな壁があり、なかなか超えられません。
そうこうしているうちに、膝の故障から、長期(13年)リタイアとなってしまいました。
さて、次の壁は何かな?壁を探すのも楽しみです。